NJPW(新日本プロレス)、『NEW JAPAN ROAD ~飯塚高史引退記念大会~』飯塚高史さんの引退試合の結果


2月21日(木)、東京・後楽園ホールで『NEW JAPAN ROAD ~飯塚高史引退記念大会~』が開催されました。

NEW JAPAN ROAD ~飯塚高史引退記念大会~




32年3カ月のキャリアにピリオドを打った飯塚高史さん

2月21日(木)、東京・後楽園ホールで『NEW JAPAN ROAD ~飯塚高史引退記念大会~』が開催されました。

北海道室蘭東高等学校時代はバスケットボール部に所属。
当時のニックネームは「ハルク」。
入門は1985年5月、1986年11月2日で野上彰(現:AKIRA)を相手にデビュー



友情タッグ

2008年、復帰してG・B・H勢に袋だたきに遭った天山広吉を助け、タッグ共闘を持ちかけた。
最初は冷たくあしらわれていたが、G・B・Hのイス攻撃から身を挺して天山を守る等の捨て身の救助を行い、気持ちが通じて“友情タッグ”を結成しました。

突然のヒール転向

2008年4月27日、飯塚は天山との同タッグで真壁刀義、矢野通組が保持するIWGPタッグ王座に挑戦。
ところが、試合終盤で飯塚は突如天山をスリーパーホールドで締め上げ、真壁・矢野の王者組をアシストした。
飯塚は試合後もリング上でG・B・H勢とともに天山を痛めつけ、自らヒール転向を宣言しG・B・H入りを果たす

その後G・B・Hから離脱し新ユニットである「CHAOS」の一員になったものの
2014年5月25日、横浜アリーナ大会でタッグパートナーである矢野にイス攻撃、アイアンフィンガーを食らわせCHAOSから離脱、対戦相手である鈴木が率いる「鈴木軍」に電撃加入を果たした。



引退発表

2019年1月7日、東京ドーム大会の2夜明け会見の場にて菅林直樹会長により飯塚の引退と2月21日の後楽園ホール大会にて引退興行が行われる事が発表された。

2月2日、札幌・北海道立総合体育センターで行われたTHE NEW BEGINNING in SAPPOROにて引退発表後初の試合が組まれ、対戦相手の天山が「飯塚!辞める前にもう一度、俺との友情タッグを復活させようやないか!」と呼びかけるも、飯塚はこれを無視して天山を攻撃した。
天山による「引退試合までに飯塚を更生させる」という一連の試みは失敗に終わり、飯塚は怨念坊主の状態のまま引退試合を迎える事となった

引退試合

飯塚が、鈴木みのる&タイチとトリオを結成し、オカダ・カズチカ&天山広吉&矢野通組と激突。

飯塚は入場時から実況の野上アナを襲撃し、場内を大きく沸かす。
飯塚は魔性のスリーパー、サンボ式のヒザ十字と自身の歴史を紐解くかのように秘技を繰り出す。
しかし、最後は天山がダウンしている飯塚の上に友情Tシャツを被せ、涙まじりのムーンサルトプレスでフォール勝ち。 
試合後、天山が友情Tシャツを掲げると、場内も大きな「飯塚」コールで正義の心を取り戻すよう後押し。

飯塚は葛藤の末、天山の握手に応えるも、次の瞬間に噛み付き攻撃。
さらにアイアンフィンガーフロムヘルを炸裂。
そして鈴木が10カウントゴングをかき鳴らす中、アイアンフィンガーをリングに残し、レスラー生活の幕を閉じた。

最後まで友情タッグの再結成は、かないませんでしたがヒールを貫いた
飯塚さんは凄いと思います。




公式サイトから削除

新日本プロレスから飯塚さんの選手プロフィールが削除されていました。

今後の情報は発表されていませんが若い選手たちを育てる立場など
何かしら新日本プロレスに携わってほしいと思います。


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