タイガーマスクの正体は? 歴代のタイガーマスクを比較 初代~7代目

歴代のタイガーマスクを比較 初代~7代目


こんばんは。
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今回はプロレスファンならば知って起きたい一度は耳にしたことがあるであろう、タイガーマスク
その中でも歴代のタイガーマスクについて、簡易的にまとめてみたという内容になります。

実は沢山いるんですよ(汗)
◯代目タイガーマスク
◯代目ブラックタイガーマスク
◯◯タイガーや非公式のものまで

それだけ影響力や人気があるって事ですね!!

その中でも今回はオーソドックスな◯代目タイガーマスクっていう分類で
書いていこうと思います。

タイガーマスクとは?

歴代のタイガーマスクには、それぞれの時代においてプロレス界を代表する存在が存在しました。
以下に、歴代のタイガーマスクについて紹介します。

そもそもタイガーマスクとはなんぞやって方は下記をご参考下さい。

1981年4月23日、新日本プロレス蔵前国技館大会でテレビアニメ「タイガーマスク二世」とのタイアップ企画でデビュー。原作者である梶原一騎からは、このギミックを現実のプロレスに取り入れる際、コーナーポスト最上段に軽々と飛び乗れるプロレスラーを起用する事と、リングアナウンサーのコールには「必ず二世をつけろ」と注文が付けられた。後者(二世コール)の条件は採用されなかったが、梶原からの抗議はなかった。
なお、漫画版やアニメのタイガーマスクは、虎の頭を模した形状のマスクを着用しているが、実在プロレスラーのタイガーマスクは、人間の頭にフィットした形状のマスクである。

元々は原作アニメから誕生しているんです。
それでは、さっそく本題に入ります。

ブラックタイガーの正体は? 歴代のブラック・タイガーを比較 初代~7代目

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今回はタイガーマスクのライバル的存在である歴代の 【ブラック・タイガー】についてになります。 歴代のタイガーマスクと同じく、沢山存在します。 また、タイガーマスク同様に覆面は虎の頭を模し、カラーリングは黒をベースに銀または白で縞模様が描かれています。

タイガーマスクの正体は? 歴代のタイガーマスクを比較

では、ここからは初代から7代目までの歴代タイガーマスクを比較していきましょう。

初代タイガーマスク(佐山聡)

1981年4月23日にデビューしました。対戦相手はダイナマイト・キッド選手でした。
見たこともない動きなどで四次元殺法などを武器に
一大プロレスブームを巻き起こしました。


しかし人気絶頂期だった1983年8月10日、突如として新日本へ契約の解除を一方的に申し入れ、引退を表明してしまいます。(理由は諸説あり)
その後は素顔の佐山聡などとして他団体や他の格闘技で活動をしました。

2代目タイガーマスク(三沢光晴)


1984年8月26日、全日本プロレス田園コロシアム大会で、メキシコ遠征中だった三沢が
2代目タイガーマスクとしてラ・フィエラを相手にデビューしました。

1990年4月、天龍源一郎ら大量の選手が全日本を退団したため、残った選手による全日本活性化のために素顔に戻ることを決意します。
5月14日、東京体育館大会での試合中に、突如としてパートナーの川田に自身のマスクの紐を外すよう指示し、自らの手でマスクを脱ぎ捨てて試合を続行。
自らマスクを脱いで最終戦で正体を明かしたアニメ「タイガーマスク二世」と同じ結末を迎えました。

元々は全日本プロレスで素顔で活動し、のちにプロレス四天王として活躍され
新団体プロレスリング・ノアを設立しました。
受け身の天才と言われていましたが試合中のアクシデントなどもあり、お亡くなりになってしまいました。

1992年3月1日、新日本プロレス横浜アリーナ大会で、新日本プロレス設立20周年大会の企画として3代目タイガーマスクがデビュー。
当初は記念試合として1回限りの企画の予定だったが、好評なため数度の単発登場を経て、1993年5月3日の福岡ドーム大会で、獣神サンダー・ライガーを相手に正式デビューします。
しかし1994年1月4日の東京ドーム大会で、ライガー戦後にマスクを脱ぎ捨ててしまいます。
自身の求めるスタイルのギャップに悩み、短期間で覆面を脱ぎました。

その後は今の金本選手らしいバッチバチの打撃をメインとしたファイトスタイルで確立されてます。



プロレスラー金本浩二 - YouTubeチャンネル


4代目タイガーマスク(山崎佳宏?)


初代タイガーマスクの佐山聡の指導を受けた、唯一のタイガーマスク。
最初からマスクをかぶってデビューし、一貫して今もなお「タイガーマスク」として
活動されてます。

1995年7月15日、後楽園ホールで開催された「'95格闘技の祭典」で、ザ・グレート・サスケを相手にデビュー。当初はフリーだったが、後にみちのくプロレスに入団。

2002年2月から新日本プロレスのシリーズに1年間帯同し、同年12月16日、新日本に円満移籍。
シュートボクシングをやっていたので今の4代目タイガーマスクのファイトスタイルに
合致してますね。だから名前が上がっているのかな…と
正式に発表はされてませんが正体は山崎佳宏と噂されてます。


5代目タイガーマスク(ミノワマン)


2010年7月18日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟真樹ジム主催興行「BREAK-4 KICK GUTS 2010 梶原一騎24回忌追悼記念・第13回梶原一騎杯」で、初代タイガーとタッグを組んでデビュー。
コスチュームはテレビアニメ第一作を踏襲しています。
一時的な活動でした…



6代目タイガーマスク(タイガーマスクを育てる新プロジェクト)

2017年4月27日のリアルジャパンプロレス LEGEND OF THE GOLD VI 後楽園ホール大会で、初代タイガーマスク・佐山聡選手が新しいタイガーマスクを責任を持って育てると宣言されてます。

7代目タイガーマスクに格闘家の武尊が就任



「7代目タイガーマスクプロジェクト」発表会見が5月24日、都内で行われ格闘家の武尊が7代目のタイガーマスクとして登場しました。

今回のプロジェクトはプロレスデビューを意味することではなく、あくまでも社会貢献活動が目的であり今後、7代目タイガーマスクプロジェクトとして養護施設出身者の自立支援を中心とした社会貢献活動を行っていくとの事です。


初代タイガーマスク(佐山サトル)がデビュー40周年記念大会でリング復帰を発表!!

1月21日、都内某所にてストロングスタイルプロレスが記者会見を実施し、新たなチャリティー活動の発表が行われたことに加え、初代タイガーマスクこと佐山サトルが4月のデビュー40周年記念大会でリング復帰することを宣言。

ストロングスタイルプロレスは、緊急事態宣言の発令を受けて今月28日に予定していた後楽園ホール大会を3月3日に延期。

そして、佐山サトルの口から4月22日に次次回の大会を行うことが発表され、「(1981年)4月23日はタイガーマスクのデビュー戦です。それを記念して、私もなんらかの形でリングに上ってみたいと思います。私の体の調子は非常に良くなってきています。これをタイガーマスク後援会を通じていろいろな活動と、それからストロングスタイルの活動にこれから邁進していきます」とリング復帰を宣言しました。

現在パーキンソン病の疑いで闘病中であり、ファンの前に姿を現すときにも車椅子に座ったままという状況が続いていたが、昨年12月のストロングスタイルプロレス後楽園ホール大会では自らの足で立ち上がって会場に集ったファンに語りかけるなど快復した姿を見せていました。

タイガーマスクの歴史は今後も止まらない

初代タイガーマスクはプロレスラーとしての個性も強く、その後の歴代のプロレスラーたちが演じたタイガーマスクたちも、それぞれ独自の個性やプロレス技術を持っていました。
彼らの活躍は、タイガーマスクというキャラクターの魅力を高めることにもつながりました。

初代タイガーマスクが創り出したキャラクターは今でも多くの人々に愛され続けており、その魅力は世代を超えて広がっています。

今回はオーソドックスなタイガーマスクについてになりましたが他にも沢山のタイガーという名のつく覆面レスラーたちがいますので今後も新しいタイガーマスクが出てくるのではないかと思います。
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