横浜DeNAベイスターズ、加賀繁・後藤武敏の引退試合をともに勝利で飾る

横浜DeNAベイスターズに所属する、加賀繁・後藤武敏の引退試合が
おこなわれました。

後藤武敏

加賀繁


加賀繁引退試合

愛称はゴエモン


国籍 日本
出身地 埼玉県新座市
生年月日 1985年4月13日(33歳)
身長
体重 182 cm
84 kg

選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト2位
初出場 2010年3月26日
最終出場 2018年9月21日
年俸 3,100万円(2018年)

経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
埼玉平成高等学校
上武大学
住友金属鹿島
横浜ベイスターズ
横浜DeNAベイスターズ (2010 - 2018)


開幕から9月9日までの時点で8試合に登板し、防御率8.38。
10日、球団から現役引退が発表され、14日に球団事務所で記者会見を行い「引退に悔いがないかと言われればありますが、恩師やお世話になった方々にも相談をして、最後は自分で決めたことなので少しほっとしたような気持ちでいます。
まさか自分がなれるとは思っていなかったプロ野球選手になることができて、何より9年間幸せだったという気持ちが強かったので、迷いを断ち切ることができました。

印象に残っているのは、プロ1年目の初勝利や、ヤクルトのバレンティン選手と長い間対戦ができたことです。バレンティン選手との対戦はいい思い出でもあり苦しい思い出でもありました。
今まで抑えていた分、やはり打たれると悔しかったですが、今考えてみると引き際を教えてくれたのかなという気持ちにもなりました。
今後は、これまでの経験を活かして野球を教える立場として携われたらと思っています。

チームは、クライマックスシリーズ(CS)進出争いで体も心もきつい時期だとは思いますが、みんなが味わえるものでもないので、CSを突破して日本シリーズで優勝できるよう、とにかく頑張ってほしいです。

ファンの皆さんが、ファームの練習場にも応援に来てくれて「加賀選手の姿を一軍で見たい」という声をかけてくれるなど、めげそうになった時も、応援してもらえるように頑張ろうと奮起させてくれました。
9年間、熱いご声援をありがとうございました。」

21日には引退試合が行われた。
中日ドラゴンズとの24回戦に先発登板し、先頭打者の平田良介を三振に抑えて降板した。その後を受け継いだ京山将弥は8回2/3を1失点で投げ切り、チームは9-1で快勝。
加賀の引退を勝利で飾った。

後藤武敏引退試合

愛称はゴメス

国籍  日本
出身地 静岡県浜松市中区
生年月日 1980年6月5日(38歳)
身長
体重 176 cm
84 kg

選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手、左翼手、三塁手
プロ入り 2002年 自由獲得枠
初出場 2003年3月28日
最終出場 2018年9月22日
年俸 1,890万円(2018年

経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
横浜高等学校
法政大学
西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ (2003 - 2011)
横浜DeNAベイスターズ (2012 -)

2018年より登録名をピリオドを取った「G 後藤武敏」に変更する。
9月10日に現役を引退すると球団が発表した

「今年は活躍できなかったら引退しようと決めた1年で、一日一日悔いのないように臨んでいたので、引退はすぐに決断することができました。

ライオンズ時代で一番記憶に残っているのは、2008年に母親を亡くし、その年に日本一に貢献できたこと。ベイスターズでは、息子の誕生日と娘の誕生日の翌日にホームランを打てたことが、一番記憶に残っています。

横浜高校時代にチームメイトだった松坂選手とは、高校の時に1回真剣勝負をして、その時はまっすぐと公言されての勝負だったのに、1球もバットにかすらなかったので、できることならばもう一度対戦したいです。
「松坂世代」というのは野球ファンに限らず、世間の方にも影響力があるので、その世代として活躍できたのは幸せでした。

去年はチーム一丸となってクライマックスシリーズ(CS)と日本シリーズ進出を果たしたので、今年もプレッシャーなどはあると思いますが、チームの代表としてまた底力を見せて、最後には笑顔で終わってほしいなと思っています。

ベイスターズファンの横浜スタジアムでの鳥肌が立つような大声援は、僕の背中を押してくれました。本当に16年間、ありがとうございました。」

22日、今季限りでの引退を表明したDeNA・G後藤武敏内野手(38)が七回に代打で出場し、空振り三振。
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