西武ライオンズに復帰が決定的になった松井稼頭央選手についてまとめてみた、FA権を行使しメジャー挑戦へ メッツ編
西武ライオンズに復帰が決定的になった松井稼頭央選手についてまとめてみた、FA権を行使しメジャー挑戦へ メッツ編
西武復帰が決定的とニュースになっている松井稼頭央選手ついてまとめてみようと思います。
今回はFA権を行使し、メジャーへ挑戦する メッツ編です。
FA権を行使しメジャー挑戦を表明する

優勝なども経験し2003年シーズン終了後にはアテネオリンピックのアジア予選に出場。
オフには8月24日に取得したFA権を行使し、アーン・テレムを代理人とし
11月17日にメジャー挑戦を表明します。
ロサンゼルス・ドジャースやアナハイム・エンゼルス等の強豪も獲得に名乗りを上げたが、松井稼頭央が選択した球団は、松井秀喜と同じニューヨークに本拠地を置くメッツ(ナショナルリーグ)だった。
2003年12月10日にニューヨーク・メッツと3年2010万ドル+出来高で契約した。
背番号は7を希望するがホセ・レイエスが着けていたため断念。
球団からは5番と25番を提示され、「足して7になる」という理由で25を選択。
契約にはニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・ドジャース、アナハイム・エンゼルスを除くチームへのトレード拒否権が盛り込まれていた。
オープン戦に出場
2月下旬、守備練習中に右手中指のつめの部分を負傷し、オープン戦初戦には出場できませんでしたが、3月8日にオープン戦に初出場します。
怪我をした右手中指の影響でまだ守備にはつけない為、1番指名打者として出場します。15日には初めて遊撃の守備に就き守備力を高く評価されましたが
29日には右手首を痛めてしまい試合に欠場。
オープン戦では打率.192という不振に陥ってしまいました。
メジャー開幕戦で衝撃的なデビュー
開幕戦は2004年4月6日、アトランタ・ブレーブス戦
対戦相手の先発投手は前年度、2003年に21勝をし最多勝のタイトルを獲得
素晴らしい成績をおさめたラス・オルティス投手。
先頭打者の松井稼頭央は、初球真ん中高めに入ってきた球を思いっきり振り
バックスクリーンへ運び、
メジャー史上初となる開幕戦新人の初球初打席本塁打を
メジャー史上初となる開幕戦新人の初球初打席本塁打を
記録するホームランを放ちます。
7月30日のブレーブス戦で二塁カバーに入った際に激しいスライディングを受け
左足脛を負傷してしまうアクシデントにも見舞われてしまいましました。
西武時代同様、遊撃を守っていましたが失策数の多さが目立ち翌年の2005年からは
二塁を守ることになりました。
2年連続開幕戦初打席本塁打を記録し幸先のいいスタートを切りましたが
試合中のアクシデントなどもあり欠場が多くなってしまい
結果的に87試合の出場に留まり、前年の成績を下回ったしまいます。
メジャー4人目となる3年連続シーズン初打席本塁打
翌年の2006年はオープン戦で滑り込んだ際に右ひざを痛め、マイナーで開幕を迎えます。
初打席では日本人初のランニング本塁打を打ち、メジャー4人目となる
3年連続シーズン初打席本塁打を達成します。
西武時代には最多安打・盗塁王・ゴールデングラブ賞・ベスナインなど
輝かしい活躍をしていただけに本人も含め多くの人が色々と感じることがあったのでは
ないかと思います。
次回も、まだまだ続きますので今しばらくお待ち頂ければと思います。
西武時代
メッツ時代
ロッキーズ・アストロズ時代
西武復帰時代